人工腎臓装置への取り組み

日機装が人工腎臓装置の輸入販売を始めた1966年頃、日本にあったコルフ型の人工腎臓は、大量の血液が必要なうえ、使用した機器を手作業で洗浄消毒しなくてはいけないなど、慢性の患者さんに継続して使用するのは難しいと思われていた。そのような中、日機装が輸入した人工腎臓装置は、透析から洗浄消毒などすべて自動で行なう、非常に優れた装置だった。
その後広く普及した人工腎臓装置は2003年には国内に約9万台と報告され、透析治療を受ける約23万人の患者さんを支えている。

国産第1号のキール型
人工腎臓装置BN型

1963年頃、まだ透析治療は普及しておらず、腎不全はなす術のない病と思われていた。1965年ポンプの取引があった米国ミルトン・ロイ社から人工腎臓装置「モデルA」を日本で販売しないかと日機装に申し入れがあった。仕事の幅を広げようと考えていた日機装は、まずは売り込んでみようということで走り出した。
そして、1966年12月、記念すべき人工腎臓の注文第一号が広島大学医学部から入り、翌1967年3月26日納入。これを機に、ミルトン・ロイ社と総代理店契約を結び、医療器業界に進出を決めた。その後新潟大学に納入し、2病院で実績が出てきてからは、性能がはるかに優れていることが各方面で認識され、輸入販売を開始して2年足らずのうちに20数台の注文を受けるなど、予想を上回る売れ行きだった。メンテナンスの問題などから、早急に国産化する必要があると考え、代理店契約から2年後の1969年3月にミルトン・ロイ社と技術提携を結び、医療器の分野でメーカーとしてのスタートを切った。
当初、日機装は装置を作るつもりはなかった。しかし、現場からの要求が強かったので、当時研究開発をしていた松崎元常務は、国産化の準備に取り掛かっていた。スペアパーツを使用する他、構成部品は自分で設計、社内加工し、間に合わせた。すべて内作するしかなかったが、2年間の装置納入の経験と臨床データをもとに試作品が完成。1969年5月厚生省の認可を取得し、国産第1号のキール型人工腎臓装置BN型は、同年8月に新潟の信楽園病院に納入された。その後1ヵ月足らずの間に9台もの注文を受ける急激伸展だった。
1973年には、人工腎臓装置の納入台数は800台を越え、国内における同部門の60%以上のシェアを占めるまでに至った。早急に国産化に取り組んだことから、現在でも透析装置のシェアは50%を維持している。

Nikkiso Tomorrow

透析装置DCS-73は、患者さんの快適性の向上を図り、装置から受ける心理的圧迫感を少ないデザインにした他、多くの機能を自動化し、操作される技士の方の使いやすさと安全面も向上させた上級機種で、2003年1月の発売以来、好調な販売実績を記録している。

(2004年6月)

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