電力需要が急増した発展期の日本で

日本の経済が戦後不況から抜け出したきっかけは、1950年に始まった朝鮮戦争による特需でした。経済の急速な回復にともない、産業界の生産力は戦前を超える水準に達し、また、所得が増えることで国民の生活レベルも飛躍的に向上しました。家庭では、洗濯機・冷蔵庫・テレビをはじめとする電化製品が普及しはじめ、企業はさらなる成長をめざし、積極的な設備投資を進めました。
こうした日本の発展を支えたのは、ほかでもない「電気」の力です。そして、急増する電力需要に対応するため、電力産業各社は大規模な電源開発に取り組み、発電方法の主流は、建設コストの高い水力よりも低コストで発電効率も高い火力へと移行していきました。
このような時代のなか、1953年に創業した特殊ポンプ工業株式会社(日機装の前身。以下、日機装)は、火力発電所の安定稼働に欠かせない「水質調整システム」の開発に乗り出します。

1954年 街頭テレビに見入る群集
1954年 街頭テレビに見入る群集

火力発電所の“水環境”に着目

火力発電では、ボイラで熱せられた水が蒸気となり、タービン(原動機)を回転させる力で電気がつくられます。このとき、水に不純物が混じっていると、ボイラ内にスケール(金属酸化物)が付着しやすくなり、これが熱効率の低下や内壁の腐食、水管の破損といったトラブルを引き起こすことがわかっていました。
その対策として、薬液によって水質調整を行うことになりますが、1950年当時の日本では、注入方法に明確な基準がありませんでした。そこで、日機装は直接ボイラへ薬液を注入する水質調整システムの導入を提案しました。

火力発電の仕組み
火力発電の仕組み

国内市場を独占する、日機装の「水質調整システム」

火力発電用ボイラへの薬液注入方法を模索していた時に出合ったのが、米国ミルトン・ロイ社の「ミルトン・ロイ・ポンプ」(自動調整をしながら必要量の液体を正確に吐出する定量ポンプ)でした。日機装は、当初は同製品の総代理店として、ポンプの輸入販売を主業務としていましたが、薬剤の注入、試料水の採取、水質の分析など、水質調整全般の計画業務にも手を広げていきます。その後、ミルトン・ロイ社との技術提携を経て、1956年には「国産第1号」を完成させました。そして、火力発電所の建設ブームに乗り、当社のボイラ水の水処理事業は国内市場を独占するに至りました。開発から半世紀以上を経た現在も、当社の水質調整システムは、国内420ユニット以上の火力発電所とすべての原子力発電所で活用されています。

ミルトン・ロイ社との技術提携仮調印
ミルトン・ロイ社との技術提携仮調印
ミルトン・ロイ・ポンプの国産第1号
ミルトン・ロイ・ポンプの国産第1号